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たった、それだけ。

秘密疲れってあるのかな。言いたがりの私はなんだって言いたいけど。のぎへんに必ず。秘めごと。口にするかしないかだけの違い。

あれよ、あれ。

 

嬉しい時は、世界が随分違ってみえる途端に自分の人生に自身が持てるくらい舞い上がる。悲しい時は、電波が弱いテレビみたいに目の前がかすんでしまう。だから素晴らしいなと思うのだけれど。「恋は 恋は 弱い女を どうして泣かせるの。」

 

そう、だからボツね。

週末に書いているブログに書こうかなと思って書き始めたけど、ほんと出てくる言葉が全然すてきじゃなくて、面白くなくてやめた。心をびりびりさせるのは大切だけど、それでもうまくいくときといかないときがある。


落第生。
前回、私は自分のことを小物だと言ったけど、それは日常のあらゆるところで感じてしまう。
つい最近では、急いで朝の支度をしている時にベッドに腰かけてメガネを外して、立ち上がってもう一度座ろうとしたら、私の丸々としたお尻がメガネをめがけてジャストミートしてしまったこと。とにかく私の困りごとや悩みごとがあまりに小さくてどんくさくて、自分のちっぽけさを感じずにはいられない。それから最近は自分の小物っぽさを引き立てる大きな悩みに気がついた。それは他人の過去に嫉妬しがちであること。ああ、この人は私と同じ頃にはもう一人でお金を稼いでいる。この年でこんな言葉を生み出している。例えば昔の人の年表をみるたびに私は無意味に落ち込んでしまう。じゃあ、年上の人たちは私たちの未来にでも嫉妬するのかな?なんて思ったこともあるけれど、そんな人たちにはどうやら嫉妬なんて概念ないのかもしれない。今しか見てないんだろうな。私も今を歩いてるつもりなのに、すぐ自分のペースがわからなくなってぐるぐるする。そんなあの頃の話を聞かされると、つまりもっと走れよってことを私に言っているのかなあと勘ぐってしまう。
大物になりたいわけじゃないけれど、小さなことがすぐに悩みに変わってしまうのはしんどいからいやだなあ。すぐに忘れてよいことを見つけることができるのは私の特技だけど、それさえも悪いことのように思ってしまう時がある。今日はどんなごはんを食べようかなあって考えるだけで、後ろめたさを感じてしまう。みんな、どうやって歩いているのかな。みんな、ギリギリで生きているのですか?

所詮ね。

自分のこと、少し停滞していてダサいなって時には大抵吐き出す言葉もダサいから、私ってやっぱりイケてないんだよな。

そうね、忘れちゃいけない。

彼が私の永遠に変わるって?恋に泣いてしまう私はまだ弱い。いや、弱くなってしまうのだ。ひこうき雲をじっと見てたら、あんなに真っ直ぐ伸びていたのに、いつの間にかほどけていた。そうやって目にはわからないスピードでゆっくりと、だけど気がついた時には、何かが変わっている。刹那と孤独を置いてはいけない。

いらぬおせっかい。

ロシアでは野生の動物としてクマがポピュラーだから、ことわざにもクマがたくさん使われるんだって。「くまの親切」ウサギにとまった蚊を払ってあげようとクマがウサギの頬を払ったら勢いよくてウサギは死んじゃったって話。最近は童話とか気になるな。

 

本読みの本意。

本を読むのは、これまでの教育から抜け出すため。と指摘されて、なるほどなと思いました。小説に出てくる主人公の心情を学んで、ほうほうこうあるべきだなんて考えて、自分のかせを外す作業を繰り返す。これは自分を持っていない私だからこそ、社会のことをまったく疑わずにすくすくと教育されて道徳的な精神を持ったからこそ。教育の影響を受けていない人は、そもそも小説なんて必要ない、と。そしてまた、素直な私はその言葉をまるっと受け取るのです。そうそう、学んできていたつもりが、学び直していたら、色んなことが全然追いつかないんだから困ったもんだ。