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幸福は日々の中に。

鹿児島にある知的障がい者施設しょうぶ学園のドキュメンタリー映画が岡山でも上映された。オリエント美術館の地下講堂は満員で、なんだかシェルターにでも入ったような気分。

「普通」という曖昧な海をおよいでるみんなへ。というキャッチコピー、まさにすいすい泳いでます。

映画は「ずれ」や「不揃い」をそのままにした施設の日々が、不思議な音と一緒に73分。たんたんと日々が流れる。なんてことのない毎日だけど、そこで暮らす彼らは毎日をきちんと毎日過ごしていた。

時々、会場のお客さんが笑った。彼らの言動にはまっすぐで予期できない面白さがある。ある人が「こんな社会をほぐす人は必要」って言っていた。彼らはそういう役割を担っているんだなって思った。

前後のトークショーでは「主体性」と「道徳」の話について。

主体性が生まれるところにはヒエラルキーが存在している。グリップ次第。ただただどうか、資本主義に乗れない私たちも暮らしやすい世の中であってください。

道徳を支配につかい、それに縛られる私たちを解放するには、考えるしかない。大きなところを変える気なんてさらさらないけど(できないけれど)自分のまわりが幸せに満ちていたらハッピーということでよいでしょう。

ひとつの言葉を思い出した。アマチュアはアモーレ(愛)から来ているということ。言ってることがなんだか似ていたな。

家に帰って、リビドーという作品集をみて、ピンとくる。そういうことか、これがリビドー。目的も目標もなく、ただ湧きあがる行為をそのままに表しただけ。人の目を気にする下心もない。無印ポップアップの店頭に立って、刺繍の紹介をすると、みんな驚いて立ち止まって、ほほうと見惚れる。衝動は人を突き動かす。自分の中に「衝動」がなさすぎて、なんだかとても複雑な気分になるのが正直なところ。

だから、歩く、歩く。私は日常を歩き続けねば、と思う。私は自分の道しかないのだから。くよくよしてる場合じゃない。「えいえいおー」とひとりで叫ぶ。 だから、書く。何が変わるかってそんなの知らない、恥ずかしいけど、そんなの知らない。書きたいから書く。日常を残す。私も見習おうかと思うんだ。もう、これからは自分のリビドーを逃したくない。